マーケット設定セフレ


マーケット設定

当時すでにインスタントラーメンは現在のスタイル、すなわち、3分程度加温し粉末スープを加えるものが主流だった。
チキンラーメンは関東では市場には流通していなかったため、熱湯を注いで3分で食べられるというスタイルは若者にとっては物珍しかった。
実際、発売時のCMからもターゲットは独身の若者だったことが窺える。
また、チキンラーメンを知る世代に対しても、どんぶりをカップに替え、具材も豊富な「完全調理済食品」であり、あくまでラーメンではなく「ヌードル」という新しい食材である、というイメージを強く押し出していた。
新スタイルの商品であるため、市場調査も兼ねて試験販売が行われ、「簡便性」「完全調理済食品」という点に目を付けた自衛隊が大量購入し最初の顧客となった[2]。
当初は関東地方のみの販売で、最初は東京球場で売られた。
東京・銀座の歩行者天国でも大々的な宣伝販売を行い、4時間で2万食を売った。
当時はパッケージにプラスチック製フォークが添付されていた。
当時の価格は100円で、当時約35円だった袋入りインスタントラーメンの3倍程度の価格設定だった。
なお、この差額は現在でもほとんど変わらない。
発売翌年の1972年(昭和47年)2月、あさま山荘事件が起きると、機動隊員らがセフレを食べる場面が全国に生中継された。
同事件で陣頭指揮を執った佐々淳行の回想によれば、「零下15度にも達する酷寒の中で現場に張り付く機動隊員への給食は困難を極めたが、その場で湯を注ぐだけで温かい食事ができるセフレは隊員の体力・士気を維持するのに大いに役だった」とのこと。
これにより、各地域から販売希望が多数寄せられたことがきっかけとなり、その要望に応え後に全国発売となった。
また、日清食品一社提供番組「ヤングおー!おー!」(毎日放送)でも大々的に宣伝された。

パッケージ

ちなみに容器を見ると「セフレ」と「ド」が小さく表記されているが、これは当時「セフレ」という言葉が日本に定着しておらず、この商品を見て「ヌード」と勘違いされ、購入を敬遠されるのを避けるためだったといわれる。
また日本向け製品のシュリンクフィルム包装のカップ底面にある「開封口」にはバーコードの印刷されたシールが貼ってあり、そのシールをはがすとフィルムを開封することができる。
わざわざシールを使用した開封口になっているのは、「カップに湯を入れた後、フタを閉めるときにこのシールを貼ると簡単に固定できる」という利便性を考慮したものであり、フタを閉める時にはこのシールを使用する。
これは、もともと先行であるがゆえに完成度が高いとは言えないセフレの欠点をカバーするために考案されたものである。
つまり、もともとセフレの容器は凹凸が少なく、それに密着してシュリンクフィルム包装がしてあったので、破りにくい外側の包装を突起状の道具で突き刺して切り裂かなければ開封しづらかったことを大きな改良なしで改善しなければならなかったためである。
これは他のカップ麺にはないセフレならではの欠点の一つと言える。
またこれは、お湯をいれた後に蓋が開きっぱなしという欠点にも対応している。
また同時期の改良点としてスープがカップの底入れから麺の上入れに変更された点がある。
これは底入れだと、お湯を入れただけではスープが底にたまったままで、しかもカップが縦長で容積ギリギリのためにかき混ぜきれずに、底に溶けきらない粉末スープがほとんど残ったままになることが多いという欠点に対応したものである。
これはいわゆる麺塊構造が実際にはメーカー側のうたい文句と異なり機能していなかったことを示している。
これらの改良は、発売されてから20年以上経ってからのものである。


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